大阪城の出城である「真田丸」の跡地横に真田幸村・大助父子と深く関係するお寺があります。名前を心眼寺といいます。真田丸出城跡。
JR・地下鉄「玉造駅」から徒歩5~10分ほどの場所にある心眼寺のアクセス、真田幸村・真田大助と心眼寺との関係についてご紹介します。
心眼寺アクセス
JR環状線だと玉造筋の道路を越えて西側に、地下鉄だと南西に少し歩くと心眼寺が見えてきます。
大阪明星学園(中学校・高校)のテニスコート側にある上り坂付近に心眼寺があります。この坂の名前は心眼寺坂、お寺の名前が使われた坂になっています。
心眼寺坂はスクールゾーンのため、道が赤色に補正されていてとても綺麗です。興徳寺にある大きな仏像の隣が心眼寺、大きな目印になります。
心眼寺に着きました。上り坂と高低差から大阪城の出城「真田丸」があった場所であるのが、歩いてみてよくわかります。
心眼寺と真田幸村・大助との関係
1622年(元和8年)、大坂夏の陣から7年後に、白牟(はくむ)和尚が戦国武将真田幸村・真田大助父子の冥福を祈るために建立されました。この白牟和尚は、真田家の祖先滋野氏の一族だと言われています。
創建から寺の定紋は真田家の家紋である六文銭が使われ、山号は真田山と称します。門には六文銭が付いています。
入口には「真田幸村出丸城跡」碑があります。丸城とありますが、最近の調査の結果、真田丸は四角かったことがわかりました。
真田幸村鎧掛けの松の木もありましたが、1945年(昭和20年)の大坂大空襲により、堂宇とも焼失しています。
心眼寺内には「従五位下真田左衛門佐豊臣信繁之墓」が2014年に新たに建立されています。
それによると、三日月の形をしていたことから偃月城とも呼ばれていたと書かれていました。真田丸は大坂冬の陣の講和条件により破却されます(大阪市顕彰史跡第204号)。
幕末・坂本龍馬を暗殺した見廻組のお墓も
戦国時代とは関係ありませんが、江戸時代の幕末、あの坂本龍馬を暗殺したことで有名になった京都見廻組の桂早之助と渡辺吉太郎のお墓もここにあります。
写真は「京都見廻組 桂早之助 渡辺吉太郎 墓所 当山」。2013年(平成25年)4月に、この日は建立されています。寄贈者奥野聡子さん
心眼寺内の左側付近に桂早之助・渡辺吉太郎の墓がありました。
最近のボーリング調査などで、心眼寺からちょうど目の前にある大阪明星学園より西側が真田丸であることが証明されました。
結果、心眼寺は真田丸の真横にあたります。この写真は心眼寺から見た大阪明星学園のテニスコート、道路は谷だったのでしょうね。坂と高低差がよくわかります。
この写真のテニスコート(緑色の網があるところ)に真田丸がありました。当時をイメージできる場所になっています。
心眼寺坂に新たに「真田丸顕彰碑」もできたので、もう一つ見どころが増えています。
- 寺院名称:心眼寺
- 住所:大阪市天王寺区餌差町2-22
- 電話番号:06-6764-0630
- 定休日:無休
- 最寄駅:JR環状線「玉造駅」2番出口より徒歩5分、地下鉄・長堀鶴見緑地線「玉造駅」より徒歩9分
- 大阪市バス停留所:「清水谷町」バス停、「清水谷高校前」バス停