大阪城の大手門を北側の天満橋方面に外堀沿いを歩くと乾櫓が見えてきます。丁度お城の角に位置しているので、西側だと大阪赤十字会館、北側だと追手門学院のどちらからでも見ることができます。
この櫓も江戸時代に作られたもので、重要文化財に指定されています。
大阪城「乾櫓」の特徴や歴史、場所、地図について、写真付きでご紹介します。
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乾櫓の場所
大阪城の正門「大手門」を外堀沿いに北側に歩いて行きます。上町筋を北上、天満橋方面行く形になりますが、外堀沿いに遊歩道があるので堀を見ながら歩いて行きましょう。
追手門学院前から外堀を見てみると、チラッと櫓が見えます。
乾櫓が見えてきました。外堀の向こうに見えるのは大阪府庁。趣のある建物です。
今度は大阪府庁側から撮影。
乾櫓と外堀。L字型になているのがよくわかります。
乾櫓の説明・歴史
この乾櫓は北側から撮影していますが、西側から撮影しても櫓が続いています。丁度この櫓の場所が角に位置するのでL字型に作られているのがわかります。
大手門に説明文があります。
乾(戌亥)は西北を表す言葉で、西ノ丸の西北に位置することから乾櫓という名前になっています。
大手口から京橋口までの広い範囲を見渡す重要な地点にあり、堀を隔てた城の外側の南・西・北のどの角度からも望めたことから「三方正門の櫓」とも呼ばれていました。
戦後に解体修理を行い、「元和六年申ノ九月吉日 ふかくさ 三十郎」と書かれた瓦が見つかっています。このことから創建が1620年(元和6年)の徳川幕府時代だとわかりました。
すなわち乾櫓は千貫櫓と同じく、大坂城再築工事に築かれたもので、最も古い構造物の一つです。
高さ10.3m、2層2階建て、186.23㎡、L字型の総2階造りという珍しい構造です。この櫓の工事責任者は茶人でも有名は小堀遠州(こぼりえんしゅう)です。
参考:乾門の説明を抜粋し、要約
この乾櫓も江戸時代1620年の大坂城再築時のもので、徳川大坂城だとわかりました。同じく重要文化財になっています。
通常、隅櫓(角にある櫓の場合)は四角くとり建てるのですが、この乾櫓は石垣の折れを利用し、そのままL字型の建物をしているのが特徴です。
また、普通の隅櫓は1階に比べて2階が狭くなるのですが、1階と2階が全く同じ面積にする「総二階造り」という建て方をしています。これも珍しい特徴と言えます。
図録で乾櫓を確認
図録「描かれた大坂城・写された大阪城」によると、第2次世界大戦1945年(昭和20年)の空襲で、乾櫓は建物全体が歪み、1層目壁が大きく崩れてしまいました。戦後、1952年の写真を図録で見ることができます。
その後、市民により整備・修復され、今の史跡公園として復旧しました。
乾櫓の内側は西の丸庭園になっている
乾櫓の内側は西の丸庭園になっているので、庭園内に入ると乾櫓の内側を見ることができます。
L字型がはっきりとわかりますね。左右に出入口がありました。ここから外堀沿いからの攻撃を狙い撃ちすることができます。
大阪城「乾櫓」地図
乾櫓は西外堀から見る場合、谷町線・京阪本線「天満橋駅」からが最寄駅になります。また谷町線「谷町四丁目駅」から西外堀を北上すると見えてきます。
大阪城公園駅や森ノ宮駅からは丁度反対側になるので遠いですね。
乾櫓の内側は「西ノ丸庭園」内から見る形になります(有料)。企画展などで西ノ丸庭園に入場できない場合があるのでご注意ください。