旧第四師団司令部庁舎に複合施設「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」がオープンしました。
この場所は以前は大坂市立博物館。その前と言えば、大日本帝国陸軍の第四師団司令部庁舎でした。建物が素晴らしいですね。
今回は旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)の場所、地図、その歴史についてご紹介します。
旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)の場所
大阪城天守閣の丁度前付近は本丸と呼ばれています。その本丸の東側に旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)があります。
現在は複合施設「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」の準備の為、リノベーション工事中です。
残念ながら現在入ることができません。2017年秋にオープンするので、それまで待ちましょう。
旧第四師団司令部庁舎の歴史
この旧第四師団司令部庁舎は、大阪城天守閣の復興のために集められた寄付金約150万円の内、約80万円を投じて1931年(昭和6年)に本丸に新築されました。
外観は左右対称のロマネスク様式を採用しています。当時、本丸中央付近には紀州御殿がありました(昭和22年に焼失)。
完成後、1940年に中部軍司令部が入りますが、第四師団司令部は二ノ丸に移転しました。
その後、1945年に中部軍は第15方面軍の編成により廃止されたことで、第15方面軍司令部と中部軍管区司令部が庁舎に入りました。
太平洋戦争の空襲の被害を免れ、戦後はアメリカ軍に接収されますが、1948年に解除されます。
その後は、大阪市警視庁本部、大阪府警察本部の庁舎として利用され、1958年に大阪市の管理下に置かれたことから、1960年より大阪市立博物館として利用されることになります。
「第四師団司令部庁舎」年表
- 1931年(昭和6年):第四師団司令部庁舎完成
- 1940年:中部軍司令部が「第四師団司令部庁舎」に入るが、第四師団司令部は二ノ丸に移転
- 1945年:中部軍は第15方面軍の編成により廃止、第15方面軍司令部と中部軍管区司令部が「第四師団司令部庁舎」に入る
- 1945年:終戦。GHQに接収
- 1948年:GHQより接収解除
- 1948年~1958年:大阪市警視庁本部、大阪府警察本部の庁舎として利用される
- 1958年:大阪市の管理下に置かれる
- 1960年~:大阪市立博物館として利用される
- 2001年3月:大阪歴史博物館の開館に伴い閉館
- 2001年~2016年:利用されず
- 2017年秋~:複合施設「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」
第四師団司令部庁舎という名前でありながら、第四師団司令部はすぐ二ノ丸(今の豊国神社や修道館付近)に移転しているので、名前がややこしいですね。
その後は、色々な軍事として利用され、戦後も警察や博物館として利用されました。
大阪市立博物館閉館後は15年ほど利用されませんでしたが、2017年秋より複合施設「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」として利用されています。
図録から「第四師団司令部庁舎」を確認
図録「大阪城の近代史」に第四師団司令部の絵葉書があります。現存している庁舎と全く同じですが、その前の道が少しだけ異なっています。
旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)地図・アクセス
旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)、「ミライザ大阪城」へのアクセスを地図上にまとめました。
地下鉄谷町四丁目駅からは大手門を入り、多聞櫓、太鼓櫓跡を通り桜門から入りましょう。森ノ宮駅からは玉造門から入り、左折し直進し右の桜門から入りましょう。
大阪城公園駅・大阪ビジネスパーク駅からは大阪城ホール横を通り右折、極楽橋から入り青屋門、刻印石広場から坂を上り、大阪城天守閣を通ると本丸に着きます。
天満橋駅からは西外堀を南沿いに歩き、大手門から入りましょう。あとは谷四の行き方と同じです。