大阪城

大阪城 重要文化財「一番櫓」

大阪城「一番櫓」

森ノ宮駅から大阪城に向かう道中、玉造口の坂の左手の南外堀に「一番櫓」があります。

元々、二ノ丸(現在の豊国神社付近)南側の石垣には、一番櫓から七番櫓までありましたが、戊辰戦争(明治維新)と1945年(昭和20年)の空襲により焼失しています。

現存する大阪城「一番櫓」についての解説や場所、地図を写真付きでご紹介します。

さらに詳しく

 

大阪城「一番櫓」場所

大阪城「一番櫓」と南外堀

観光バス専用駐車場を降りた目の前に南外堀(南外濠)があり、その向こうの石垣がに「一番櫓」があります。

 

大坂城玉造口へ向かう道

そのまま玉造口に向かう途中の坂からでも、左側から見えます。

 

大阪城「一番櫓」

南外堀(南外濠)を挟んだ向こう側に「一番櫓」が見えます。戊辰戦争の大火と太平洋戦争の空襲をなんとか免れたのが一番櫓です。

 

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大阪城「一番櫓」説明・歴史

大阪城「一番櫓」

玉造口からぐるっと回ると一番櫓の説明がありました。

二ノ丸南側の石垣には、二層二階建ての隅櫓(すみやぐら)が、東から西へ一番から七番まで建っていました。この櫓は最も東に位置するため「一番櫓」と呼ばれています

外側にあたる東面と南面に窓が16個あり、鉄砲や矢を放つための狭間(さま)も多数あり、玉造口に攻め入る敵を側面から一斉に攻撃できます。また東面には石落としも設けられています。

創建は徳川幕府再築工事の最終段階である1628年(寛永5年)で、戦後の解体修復時にわかったことは、1658年~1661年(万治年間)、1668年(寛文8年)、1832年(天保3年)の3度だったと推定されています。

特に1832年(天保3年)は解体も行うほど大規模だったようです。建物の下の栗石(ぐりいし)の間から当時の衣類が見つかっています。

面積は1階が167.98㎡、2階が96.31㎡、高さは約14.3mあります。現存するのは一番櫓と六番櫓のみ。

参考:一番櫓、説明文を抜粋し要約

窓は16個ありますが、現在は塞がっています。石落としは1階中央が出っ張っていて、そこから下に落とせるようになっています。上の写真でも確認できます。

丁度玉造口の坂から撮影。外堀の櫓から狙いやすいというのがよくわかります。

図録「描かれた大坂城・写された大阪城」によると、一番櫓は第2次世界大戦(太平洋戦争)で破損が著しく、1層目西側と2層目南側の白壁がごっそり剥がれ落ちてしまいました。

すぐ隣にあった二番櫓が空襲により完全に焼失してしまったことから、紙一重の差で一番櫓は生き残ったことがわかります。

 

北政所の実家である木下家が一番櫓を担当

一番櫓周辺の櫓は、豊臣秀吉の正室である北政所(寧)の実家である木下家が担当しました。木下家は江戸時代に入り、備中・足守(岡山市)と備後・日出(大分県日出町)の2箇所で大名として続きます。

一番櫓周辺は備後日出の木下延俊が、徳川大坂城再建の時に担当してます。その証拠になる㊍(丸に木の文字)が入った刻印が今でも残っています

刻印の場所:一番櫓から石垣に沿って南に歩き、西に曲がる場所

 

大阪城「一番櫓」地図

大阪城「一番櫓」地図

出典:大阪城公園園内MAP

バス駐車場から下車した方、森ノ宮駅から徒歩の方は、玉造口から大阪城天守閣に向かいます。その南外堀に重要文化財「一番櫓」が見えます。

地図上にに上で使用した一番櫓の写真の場所を水色の●と矢印で書いているので、行かれる時はチェックしてみて下さい。ここも写真スポットです。

参考:「大阪城の重要文化財」10箇所

参考:「大阪城の史跡・名所」一覧

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