大阪城の南に越中井(細川忠興屋敷跡・細川ガラシャ最期の地)があります。
そのすぐ南に「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」があり、そこには細川ガラシャ像と高山右近像があります。別名「大阪カテドラル」。
「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」の説明・歴史、アクセスを紹介します。
聖マリア大聖堂カトリック玉造教会(細川ガラシャ像・高山右近像)の説明・歴史
「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」の創立は1894年(明治27年)で、当時は「聖アグネス聖堂」という名前でした。
1945年(昭和20年)第2次世界対戦の大阪大空襲により消失。
その後はそのままの状態でしたが、1963年(昭和38年)に「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」として完成しました。
写真:西側にある「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」説明板より
1963年6月に献堂式が行われた時に「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」を航空写真で撮影。
この写真が非常に興味深いですね。当時の大阪市中央区の法円坂周辺の様子がよくわかります。今とは違い大阪城天守閣がよく見えていたことがわかります。
この敷地は、細川忠興屋敷跡であることから入口の右側に細川ガラシャ像があります。
銅像には細川ガラシアと表記(上の写真参照)。
また、入口左側には高山右近像もあります。
細川ガラシャと言えば、大坂城下のキリスト教会を訪れたことから、キリシタンになります。
「細川ガラシャ像」「高山右近像」、両銅像(石像)はカトリック信徒の彫刻家・阿部政義氏の作品です。
「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」中央から入ってすぐ右側に細川ガラシャ夫人の慰霊塔が建てられています。
細川ガラシャ夫人の慰霊塔(上部)。「DONNA GRATIA HOSOKAWA」と細川ガラシャ夫人の絵が彫られています。
細川ガラシャ夫人の慰霊塔(下部)。「IN MEMORIAM 350 ANIVERS OBITUS G. T. HOSOKAWA A. D. 1950」
ガラシャ夫人没後350年を記念し、1950年(昭和25年)に細川加羅紗頌徳会が建立。
「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」西側に、細川ガラシャ夫人、高山右近、カトリック玉造教会の説明版が複数あります。
もし行く予定がある方は、あわせて読んでみて下さい。
聖マリア大聖堂カトリック玉造教会(細川ガラシャ像・高山右近像)のアクセス・場所
森ノ宮駅と玉造駅の中間に位置します。やや玉造駅より。
このあたりは大阪女学院や城星学園などキリスト教の学校が集まっているエリアで、歴史の散歩道でもあります。
駐車場は「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」内に40台収容できる駐車場があります。
- 大阪市中央区森ノ宮中央2丁目12 越中公園そば(Google Map)
- 交通アクセス①:大阪メトロ中央線・長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」②番出口より徒歩9分
- 交通アクセス②:JR大阪環状線「森ノ宮駅」下車、徒歩12〜15分
- 交通アクセス③:大阪メトロ長堀鶴見緑地線「玉造駅」①番出口より徒歩8〜10分
- 車の場合(駐車場):40台
大阪城と越中井(細川ガラシャ夫人最期の地・細川忠興屋敷跡)とあわせて観光される方は、森ノ宮駅が便利です。