当サイト「大阪城観光ガイド」は、大阪城・大阪城公園周辺の観光スポットを紹介しているサイトです。
初めて大阪に訪れても、楽しめるエリアをたくさん紹介しています。
今回はマニアックなスポットを中心にまとめてみたので、興味があるエリアをあわせて訪れてみて下さい。
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1.城中焼亡埋骨墳
大阪城公園内にひっそりとある石碑が「城中焼亡埋骨墳」です。読み方は「じょうちゅうしょうぼうまいこつふん」
大河ドラマで幕末(江戸末期)を見ている方でも意外と知られていない石碑です。
明治維新で薩摩藩と長州藩に大阪城が引き渡されました。その時にこれまで江戸幕府のために戦ってきた幕臣たちが、大阪城に火を放ち自害しました。
それを見た薩摩藩と長州藩が、自害した幕臣たちの遺骨を埋葬しこの石碑を建立したのです。1968年建立。
場所はピースおおさかの近く。石碑の後ろ側なども当時のまま見られるのでぜひチェックしてみて下さい。
関連:大阪城に薩長軍建立の石碑「城中焼亡埋骨墳」アクセスとその歴史
2.豊臣秀吉像がある大阪城豊国神社
豊臣秀吉、豊臣秀長、豊臣秀頼が神様として祀られていることから、豊臣秀吉像があります。
豊臣秀吉像はインスタ映えすること間違いなし。大阪に観光したのがわかるスポットです。
3.「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑、淀君並殉死者三十二名忠霊塔
大阪城天守閣と言えば豊臣秀吉、そして豊臣秀頼、淀殿です。
豊臣秀頼と淀殿が自刃した場所に石碑と塔があります。それが「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑、淀君並殉死者三十二名忠霊塔です。
1つ目の「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑は公に作られたものですが、もう一つの「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」は公のものではなく、一般の方(民間)が作られたようです。
なので大阪城観光マップなどには載っていません。大河ドラマ「真田丸」でも話題になりました。
場所は刻印石広場、どちらも同じすぐ近くにあります。「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」は大阪城山里丸の石垣の近くにあります。
関連:「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」碑、淀君並殉死者三十二名忠霊塔
4.重要文化財「金蔵」
江戸時代の大阪城の蔵・金庫が大阪城天守閣の近くにあります。名前は金蔵。当時のまま現存していることから重要文化財に指定されています。
入口が三重になっていて、簡単に中に入れないようになっています。
この金蔵には長崎貿易の収益金や西日本にある幕府直轄領の年貢金などが保管されていたそうです。
現在のお金に換算すると808億円の大金が入っていたことになります。
5.「石山本願寺推定地」碑と「蓮如上人袈裟懸けの松」
大阪城天守閣は豊臣秀吉が建てたものですが、それ以前この場所には大坂(石山)本願寺がありました。
織田信長が本願寺に難題を入れた結果11年間の「石山合戦」に突入。その後、織田信長が亡くなり、豊臣秀吉がこの地に大阪城天守閣を建てたのです。
大坂(石山)本願寺に関係する石碑が2つあります。
一つは石碑「石山本願寺推定地」、もう一つは「蓮如上人袈裟懸けの松」。
関連:大阪城「蓮如上人袈裟懸けの松」のアクセス・その説明と異説
6.越中井(細川ガラシャ夫人最期の地・細川忠興屋敷跡)
大阪城公園から外れるので大阪城とは関係ないと思われるかもしれませんが、越中井(細川忠興屋敷跡・細川ガラシャ最期の地)は豊臣大阪城時代は三の丸でした。
三の丸は主に大名屋敷があり細川忠興らの家もあったのです。そこに細川ガラシャも住んでいました。
細川ガラシャと言えばキリスト教です。越中井のすぐ近くに「聖マリア大聖堂カトリック玉造教会」もあります。
細川ガラシャ像もあるので、少し離れていますがウォーキングがてら足を運んでみて下さい。
関連:越中井(細川ガラシャ夫人最期の地・細川忠興屋敷跡)の歴史・アクセス
関連:聖マリア大聖堂カトリック玉造教会(細川ガラシャ像・高山右近像)の歴史・アクセス
最後に
少しマニアックではありますが、歴史に興味がある方には興味深いスポットだと思います。
歴史を知ると、その場所が当時の面影を残しているのがわかりますよ。
一度に行くことは大変ですが、もし近くに立ち寄った時は足を運んでみて下さい。
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