大阪城天守閣前の本丸に行くと、一か所緑が多い場所があります。ここが「日本庭園」です。周囲に木があり、その中は池があります。
天守閣を行き来すると、知らずに通り過ぎてしまいますよ。ぜひ立ち寄ってみて下さい。
大阪城「日本庭園」の場所、地図、その説明についてご紹介します。
さらに詳しく
大阪城「日本庭園」場所
まずは最寄駅から大阪城を目指しましょう。本丸に入ると大きな大阪城が見えます。天守閣のエレベーター(上の写真参照)がある方向に行きましょう。
そのまま前に直進します。
緑に囲まれた場所なのですぐわかると思います。木が周囲に植えられ、その中央に池があります。
「日本庭園」説明
日本庭園のすぐ前に説明文があります。
1931年(昭和6年)大阪城天守閣復興にあわせ、大阪市の手により、当時東側に建っていた紀州御殿の庭園として整備された純日本式庭園です。
中央の池は面積300坪の鶴翼形、背景に築山をめぐらしています。池の南側からは、天守を借景した庭園のたたずまいが楽しめるように工夫されています。
参考:日本庭園の説明文を抜粋し要約
1665年(寛文5年)の落雷で徳川大坂城は焼失、それ以降天守閣は無い状態が昭和初期まで続きました。それまでは石垣の天守台だけ。
昭和6年に大阪市民の寄付により、3代目の大阪城天守閣が誕生。その時にこの日本庭園ができました。当時は紀州御殿が本丸にあり、その庭園として整備されましたが、残念ながら紀州御殿(後「天臨閣」と改名)は昭和22年に焼失したため、現在はありません。
紀州御殿とセットだったので、現在は本丸全体としてみるとバランスが悪いのですが、日本庭園だけみると良いものです。
池の南側にぐるっと回ってから見ると、日本庭園の向こうに大阪城天守閣という贅沢な見方ができます。行かれた時はぜひ南側からも見るようにしましょう。
図録から日本庭園を確認
図録「大阪城の近代史」を見ると、昭和6年の案内図「大阪城新公園之図」に紀州御殿の西側に新たに整備された日本庭園を確認することができます。
案内図には、本丸内に第四師団司令部、紀州御殿、日本庭園と横に並んでいます。
江戸時代はこの本丸はどうなっていたのか、興味があったので調べてみると、図録「描かれた大阪城・写された大阪城」に、徳川大坂城時代の絵図「徳川時代大坂城図屏風」というがあり、本丸にはもちろん紀州御殿と日本庭園は無く、本丸御殿と大坂城守衛の各役職の建物が建っていたのを確認ことができます。
因みに本丸御殿(幕末の戊辰戦争で焼失)は紀州御殿ではありません。江戸時代は天守閣がなかったので、この本丸御殿を中心に政治を行っていました。
「日本庭園」地図・アクセス
参考:大坂城公園案内図より
地下鉄中央線・谷町線「谷町四丁目駅」からは大手門から入り桜門を通ると大阪城が見え、その西側に日本庭園が見えてきます。
JR環状線・地下鉄中央線・長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」からは玉造口から入り桜門を通り、本丸に入りましょう。
JR環状線「大坂城公園駅」と地下鉄長堀鶴見緑地線「大阪ビジネスパーク駅」からは青屋門、極楽橋から入り本丸に入ります。
京阪本線・谷町線「天満橋駅」からは京橋口→極楽橋、又は青屋門→極楽橋から向かうと本丸が見えてきます。