戦国武将は各数の名言を残しています。
その中でも豊臣秀吉もユニークな名言をたくさん残しています
今の世代にも通じる秀吉の名言について8つ紹介します。
- 豊臣秀吉の名言1:金銀は使わなければ、石や瓦を貯めているのと同じだ
- 豊臣秀吉の名言2:よき夢を見するがな
- 豊臣秀吉の名言3:秀吉の言葉には一言の裏表もない、この故に自分は天道にかなうものなのである
- 豊臣秀吉の名言4:武辺をば 今日せず明日と思ひなば、人におくれて恥の鼻開き
- 豊臣秀吉の名言5:負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし
- 豊臣秀吉の名言6:ふしミ(伏見)のふしん(普請) なまつ(鯰)大事にて候
- 豊臣秀吉の名言7:人はただ さし出づるこそ よかりけれ、軍(いくさ)の時も先駆けをして
- 豊臣秀吉の名言8:露と落ち露と消えにしわが身かな、難波(なにわ)のことも夢のまた夢
豊臣秀吉の名言1:金銀は使わなければ、石や瓦を貯めているのと同じだ
金銀は使わなければ、石や瓦を貯めているのと同じだ
豊臣秀吉
天下統一を成し遂げてからの豊臣秀吉は、外出する時は大きな財布に銀銭をたくさん詰めて出かけていました。
その理由は、外で遊んでいる子供たちや道で寝ている人にも与えていたからです。
「なぜ誰にでも銀銭(お金)をあげるのか?」と聞かれた時に発したのがこの名言です。
日頃から金銀を配ることが多く、公家や大名たちにもその時のノリでばらまいています。
豊臣秀吉の名言2:よき夢を見するがな
よき夢を見するがな
豊臣秀吉
最大のイベントである醍醐の花見での贅沢三昧、名護屋城での芝居、仮装大会、宴などから見られるのは、
豊臣秀吉には「自分だけが楽しんでも仕方がない。周りも喜ばせたい」という思いが常にありました。
秀吉には皆を心から喜ばたいという企画・計画、サービス精神を常に持っています。
これは豊臣秀吉の性格の一つと言えるでしょう。
豊臣秀吉の名言3:秀吉の言葉には一言の裏表もない、この故に自分は天道にかなうものなのである
秀吉の言葉には一言の裏表もない、この故に自分は天道にかなうものなのである
豊臣秀吉
この句に出ている「天道」とは天地を支配する人、つまり天下人のことです。
この名言が秀吉から出たのは北条氏の小田原攻めの時でした。
徳川家康も家臣にし、あとは小田原と奥州平定が終われば、豊臣秀吉は天下統一を成し遂げます。
そんな時期での発言になります。
豊臣秀吉の名言4:武辺をば 今日せず明日と思ひなば、人におくれて恥の鼻開き
武辺をば 今日せず明日と思ひなば、人におくれて恥の鼻開き
豊臣秀吉
「明日こそは功名を立てるぞと誓ったとしても、今日立てなければ明日も無理。好機は一度で今日つかみ取るものだ」という意味です。
明日から頑張るぞと言う人は大成しない、今から頑張ることが重要だと。
今でも仕事や勉強などに通じる名言だと思います。肝に銘じたいなと。
豊臣秀吉の名言5:負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし
負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし
豊臣秀吉
豊臣秀吉が天下統一まで成し遂げるまでに、色々な困難がありました。
それでも秀吉はどんな逆境でも下を向かずに勝つと言い聞かせて、乗り切ったのです。
誰もが諦める場面でもこの言葉を思い続けながら、困難に立ち向かっていきました。
メンタルコントロールですが、元々前向きな性格だったのもあるように思います。
豊臣秀吉の名言6:ふしミ(伏見)のふしん(普請) なまつ(鯰)大事にて候
ふしミ(伏見)のふしん(普請) なまつ(鯰)大事にて候
豊臣秀吉
名言というか秀吉あらしい手紙なので紹介します。
秀吉が伏見城を造営することになった時に、京都奉行の前田玄以(げんい)に送った手紙です。
この手紙の「普請(普請)」とは建築工事のことです。
つまり「伏見城の建築工事には、鯰(地震対策)が大事です」という意味になります。
残念ながら慶長元年(1596年)に直下型地震が起こり、伏見城は倒壊してしまいました。
最近の発掘調査によると、伏見城跡からは地震対策の跡が見つかっているそうです。
豊臣秀吉の名言7:人はただ さし出づるこそ よかりけれ、軍(いくさ)の時も先駆けをして
人はただ さし出づるこそ よかりけれ、軍(いくさ)の時も先駆けをして
豊臣秀吉
この句は、豊臣秀吉が織田信長の家臣だった時に詠まれた句です。
秀吉は織田の家臣から嫌われていました。その理由は、何でもしゃしゃり出るからです。
同じ信長の家臣が「人は皆 さし出でぬこそ良かりけれ、 軍(いくさ)の時じゃ先駆けをして」と詠んだ句に対して秀吉が即座に返歌した句です。
「人はいつでも前に出た方が良い。そして戦の時も先駆けるのだ」という意味です。
豊臣秀吉の名言8:露と落ち露と消えにしわが身かな、難波(なにわ)のことも夢のまた夢
露と落ち露と消えにしわが身かな、難波(なにわ)のことも夢のまた夢
豊臣秀吉(辞世の句)
豊臣秀吉の有名な辞世の句です。
「難波(なにわ)のことも」の意味は、「大阪(大坂)のことも」と「何もかも」という2つの意味が隠された、掛詞(かけことば)になっています。
参考文献:「太平記」(桑田忠親、新人物往来社)
参考文献:「絵本太平記」(塚元哲三、有朋堂書店)
参考文献:「川角太平記」太閤史料集(桑田忠親、新人物往来社)
さらに詳しくは「豊臣秀吉」を続けて読んでみて下さい。