豊臣秀吉

豊臣秀吉年表

豊臣秀吉 年表

豊臣秀吉の年表をまとめました。

秀吉が行った政策の中で効果のあったものについては「豊臣秀吉がしたこと」にまとめています。

時代(戦国時代〜安土桃山時代)、西暦(和暦)、秀吉の年齢、内容・できごとを表にまとめています。

追記この記事の最後に「豊臣秀吉の年表」をPDFファイルで無料ダウンロード・印刷できるようにしました。大河ドラマのお供に使ってみて下さい。

 

豊臣秀吉 年表

豊臣秀吉がしたことを年齢別に確認できるよう年表にしました。PDFファイルはこの年表の下にあります。

時代西暦(和暦)豊臣秀吉の年齢内容・できごと
室町時代
(戦国時代)
1537年(天文6年)1歳豊臣秀吉日吉丸が誕生
1543年(天文12年)8歳父・弥右衛門が死んだため、光明寺にあずけられる
母なかは織田信秀の同朋衆の築阿弥と再婚
1551年(天文20年)15歳豊臣秀吉が松下之綱(ゆきつな)に仕える
織田信長が家督を次ぐ
1554年(天文23年)18歳豊臣秀吉が織田信長に仕える
清州城の修復に成功、織田信長の信頼を得る
1560年(永禄3年)24歳織田信長と今川義元の合戦「桶狭間の戦い」
1561年(永禄4年)25歳豊臣秀吉がねね(後の北政所)と結婚
名前を日吉丸から木下藤吉郎と変更
1562年(永禄5年)26歳織田信長と徳川家康が同盟を結ぶ「清洲同盟」
1566年(永禄9年)30歳墨俣城を一夜にして築く(一夜城)
1567年(永禄10年)31歳稲葉山城の戦いで軍功をあげる
1568年(永禄11年)32歳織田信長が足利義昭を室町幕府15代将軍にする
1570年(元亀1年)34歳越前金ヶ崎から撤退する信長軍のしんがりを務める「金ヶ崎の戦い」
織田・徳川軍と浅井・朝倉軍の合戦「姉川の戦い」
石山本願寺との「石山合戦」が始まる
1571年(元亀2年)35歳織田信長が比叡山を焼き討ちにする
1573年(天正1年)37歳名前を木下藤吉郎から羽柴秀吉に変更
織田信長が室町幕府を滅ぼす
越前の朝倉氏を滅ぼす「一乗谷の戦い」
近江の浅井氏を滅ぼす「小谷城の戦い」
豊臣秀吉は浅井氏の旧領を与えられ、十二万石の大名になる
安土桃山時代1574年(天正2年)38歳長浜城を築城する
1575年(天正3年)39歳織田・徳川軍と竹田勝頼の合戦「長篠の戦い」
1576年(天正4年)40歳織田信長が安土城を築く
1577年(天正5年)41歳織田信長か秀吉に中国攻めを命じる
1578年(天正6年)42歳織田と別所の合戦。秀吉が兵糧攻めをする。「三木合戦」
1579年(天正7年)43歳竹中半兵衛が病死する
1580年(天正8年)44歳柴田勝家が加賀を攻める
播磨・三木城を攻め落とす
1581年(天正9年)45歳姫路城を築城する
鳥取城を攻め落とす「鳥取城の戦い」
1582年(天正10年)46歳天正遣欧少年使節が派遣される
備中・高松城を包囲する「備中高松の戦い」
本能寺の変」織田信長の死を知り、毛利氏と和議を結び「中国大返し」、天王山の戦いで明智光秀をやぶる「山崎の戦い」
織田信長の跡継ぎに三法師を推薦「清州会議」
太閤検地を始める
大徳寺で織田信長の葬儀を行う
1583年(天正11年)47歳「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家をやぶる
「北ノ庄城の戦い」
大坂城天守閣の築城工事を始める
1584年(天正12年)48歳「小牧・長久手の戦い」で、徳川家康と戦う
1585年(天正13年)49歳紀州を平定する
徳川家康が豊臣秀吉の妹・朝日姫と結婚
関白に任命される
長宗我部元親に勝利する「四国平定」
1586年(天正14年)50歳朝廷から豊臣の姓を受ける、豊臣秀吉に名前を変更
太政大臣に任命される
1587年(天正15年)51歳島津氏を攻め、九州を平定する「九州平定」
バテレン追放令を出す
京都に天皇を招待するために聚楽第を構える
北野天満宮で大茶会を開く「北野大茶会」
1588年(天正16年)52歳茶々を側室にむかえる
淀城を築き始める
聚楽第に後陽成天皇を招く
刀狩令を出し、農民の武装解除を行う
海賊取締令を出す
1589年(天正17年)53歳各地で大掛かりな検地を行う
豊臣秀吉が天正大判という小判をつくる
キリスト教を禁止する
1590年(天正18年)54歳小田原・北条氏を滅ぼす「小田原城の戦い」
奥州を平定する「奥州平定」し、豊臣秀吉は天下統一を達成
1591年(天正19年)55歳豊臣秀長が病死する
千利休を堺に追放し、切腹を命じる
甥(おい)の豊臣秀次に関白を譲り、秀吉は太閤となる
1592年(文禄1年)56歳1度目の朝鮮出兵「文禄の役」
1593年(文禄2年)57歳豊臣秀頼が誕生
1594年(文禄3年)58歳吉野の花見を開く
伏見城を築き始める
豊臣秀次が切腹する
1595年(文禄4年)60歳サン・フェリペ号事件
1597年(慶長2年)61歳2度目の朝鮮出兵「慶長の役」
1598年(慶長3年)62歳醍醐の花見を開く
豊臣秀吉が伏見城で死ぬ、朝鮮の日本軍が引き上げる
1600年(慶長5年)死後関ヶ原の戦い

以上の年表をPDFファイル無料ダウンロード・印刷できるようにしました(全2ページ)。

この年表で「豊臣秀吉が年齢別にしたこと」を確認できます。印刷しておくとより大河ドラマを楽しめると思います

著作権を放棄していません。個人で使用するのはOKですが、販売したりしないようにお願いします

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