城の正門入口のことを大手口と言います。もちろん大阪城にも正門「大手門」があり、重要文化財に指定されています。
この門は幕末の火災や第2次世界大戦の空襲、そして落雷を潜り抜けて、今でも現存しています。
大阪城「大手門」の情報や、地図や場所についても写真付きでご紹介します。
さらに詳しく
大手門の場所
NHK大阪放送局や大阪歴史博物館、大阪府警察本部、大阪府庁の前に大坂城の大手門があります。
大手門の前には芝生広場になっていて、家族やカップルで遊びに来ているのを見かけます。その芝生広場の前が上り坂になっていて、その奥が大手門になります。
ゆったりとした上り坂の向こうに黒い門が見えます。これが大手門です。
左側は西外濠(西外堀)で、右側は南外堀になります。南外堀からの城の眺めは写真スポットですよ。
大手門は、高麗門(※)形式になっています。
※高麗門とは、門の両脇に控え柱があり、その上に小さな屋根がある門のこと。
大手門の説明、歴史
大手門入ってすぐに説明文がありました。
城の正面を大手(追手[おって])と言い、その入り口を大手口(追手口)、設けられた門を大手門(追手門)と言います。
現存する大阪城の大手門は、1628年(寛永5年)に徳川幕府により大坂城再築工事の時に創建されました。
正面左右の親柱の間に屋根を乗せ、親柱のそれぞれ背後に立つ控え柱との間にも屋根を乗せた高麗門形式です。
屋根は本瓦葺で、扉や親柱を黒塗総鉄板張にしています。開口部の幅は5.5m、高さ7.1m。
親柱・控柱の下部はその後、腐食してしまったために、根継がほどこされています。特に正面右側の控柱の継手は一見不可能にしか見えない技法が使われています。
門の左右に接続する大手門北方堀・大手門南方堀も重要文化財に指定されています。
参考:大阪城大手門の説明文より抜粋し、要約
豊臣大坂城は埋め立てられてしまったので現存していません。その為、重要文化財に指定されているのは、ほとんどが徳川時代のものです。
大手門の屋根にある瓦を見ると、徳川の葵の家紋を確認することができます。
この大手門と言えば、腐食による根継の技術が有名です。上の説明文にもありますが、外側と内側の形が異なっている手法を使っているので、滑ったり歪んだりしないような特殊な技法が使われています。
日本の建物でここ1か所しかないとされている継方だそうです。ぜひ直接目で確認してみて下さい。
今は埋め立てられて見ることができませんが、豊臣大坂城時代の大手門は生玉門(いくたまもん)と読ばれていたそうです。
その理由は大手門の場所に生國魂神社(生玉神社)があったから。
生國魂神社(生玉神社)は豊臣秀吉が大坂城を築城する際に、南西に移築しました。その痕跡を今に残すため大手門右側には「生国魂神社お旅所跡」の碑があります。
図録で大手門を確認
「改正増補国宝大坂全図」「増修改正摂州大阪地図」などの大坂の古地図を確認すると、大手口を「追手口」と書かれています。
幕末の写真を図録で確認すると、大手門のすぐ左側に小屋があり、その中に狼藉者捕縛の為の三つ道具が供えられていました。
また、幕末の第2次長州戦争の指揮をとるために、1865年(慶応元年)に大坂城に入場した14代将軍・徳川家茂の行列もこの大手門から入場している絵もあります。
どちらも図録「描かれた大坂城・写された大阪城」に掲載されています。
明治時代の大手門は、大阪鎮台(後の第四師団司令部)の正門に使われていました。
大阪城「大手門」地図
出典:大阪城公園園内MAP
最寄駅は地下鉄谷町線の谷町四丁目駅になります。他の駅からではわざわざ外堀の側面を通っていかないと大手門には行けません。